高校生や新卒説明会で必ず出る話題が「やりたいことがない」なんだよね。伝えるのは「やりたことがはじめからある人の方が異常なので安心していいですよ」なんよ。阿部総研調べだけどやりたいことが明確な人なんて人類で1割もいない希少種なので、気にせんでいいと伝えてます。無いのが普通だよと
— sem_master (@semlabo) January 25, 2019
今日、こんなTwitterのつぶやきを目にしました。
この「やりたいことがない」ことに対する漠然とした不安感は、とても共感します。
数年前に読んだこの記事を思い出しました。
「メジャーリーガーになる」
「CAになる」
「社長になって上場する」
そういった「Want to do」がある人はやはり目立ち、そして少し輝いて見えるもの。
一方、自分はどうかというと、これといっておっきな成し遂げたいものはないタイプの人です。「いいお父ちゃんになりたい」くらい。
毎日の暮らしがほのぼのと幸せに満ちていて、好きな人たちと暮らしていられるこの状態が幸せなタイプです。
このブログでは、「なにか目標に向かって近づいていくのが嬉しい人」と「自分の幸せの基準に対して、それをどれだけ満たせているかが嬉しい人」というふうに説明をわけていました。
幸せのカタチなんて、それこそ人の数ほどあるんだから、無駄に人の幸せのカタチに焦ったりしなくていいやんねって思います。
これに関連して、多様性の話をしたい。
よく世の中では多様性を持った人を「様々な人に理解できる人」と定義します。
これに対して結構否定的です。
だって、理解できない人を認められないからです。
本当の多様性を認めるって、理解できようができまいが、「いいね」って言って認めてあげるってことだと思ってます。
「理解」と「認める」がズレるのが味噌だと。
これもまた前にTwitterで見たやつですが、
ピカチュウの真似をしたがるとあるポケモンに対してロケット団のムサシは
「よくわからないけどピカチュウの姿でいることがあんたにとって大事みたいね」と声をかけます。
そのものの大切さはわからないけど、大事にしたい気持ちはわかる。
それだけで十分なんだって思います。
プラモ好きな旦那さんとネイル好きな奥さん。
お互いがお互いの好きなものを全く理解できていなくても、そのものを好きな姿をわかってあげられればもうそれでいいんじゃないかって思います。
大事なのは「事柄の理解」ではなく「姿勢の許容」っぽいですね。
酔っ払った華金は、ちょっとポエミーなちんぱんでした。